(………………っていうか、なんで?)
登校早々、浅雪一香は冷や汗モノの事態に陥っていた。
その原因は2-Dの教室の、彼女の机の中に、いつの間にか置いてあった代物にあった。
金属質の黒光り、手に持てば肩にまで伝わる重量感いやむしろ重量そのもの。
大抵の高校生には実物を実際見た経験はないだろーが、映画だのTVドラマだのゲームだのなんだので、ソレが何なのかは大抵誰でも知識としては知ってる代物。
一香の場合、以前近所に住んでたその筋のちょっとしたマニアなお姉さんとけっこー仲が良かったりしたから、尚更明確にソレの正体が理解できる。
起きた撃鉄、引き金。 銃身に銃口。 間違いない、コレは――
――拳銃、ってヤツ。。
誰もいない教室の中でコレに遭遇したのならまだいろいろと確かめ様もあった。
コレが本当に本物なのかどーかとか(重量からして明らかに分かるが)、弾入ってるのかどーかとか。
しかし、大して真面目でもないし、かといって別に不真面目という訳でもない一香が、他のどの生徒よりも早く、たった1人で朝の教室にいるという状況はほとんどない。
つまり、コレを白昼の下に晒して徹底分析なんて素敵に大それたマネはやらせてもらえなさげ。
無雑作に机の上にでも置こうモノなら、周囲のクラスメイト達は別に「撃つぞ!」と宣告された訳でもないのに一香から逃げて行くだろう。
コレがどういうモノか、やはり一香は分かってる。
(…………冗談?だとしたら悪質……)
コレが自分の机の中に置かれた経緯を彼女は考えてみる。 ってか、誰が置いたんだろう?
日本の現状と照らし合わせれば893のヒト達か、110番で呼ぶと来るヒト達か、あるいは不法滞在な外国のヒト達か。
893のヒト達だとしたら、コレは「隠した」つもりなのだろーか。 ざけんな。
せめて体育館の床下とか、ちょっとは工夫しやがれってんだよ、バカ。。
誰とも知れない相手に対して心の中で悪態を吐きつつ、一香は次の可能性について考察する。
110番のヒト達。 恐らく日本で唯一、法律に抵触しない形でコレを所持できるヒト達。
……自衛隊のヒト達も持てたっけ? 法律の専門家じゃないのでそのへんは考えない。
まさか置き忘れたとかゆーなよな、そんなんで市民の安全守れんのか110番のヒト達。
最後、日本人じゃない不法滞在のヒト達も考えるが、893なヒト達と大差ないので略。
推測のしよーもない経緯はさて置いて、とにかく事実はただ1つだ。
今現在、A.D.2007年5月11日午前8時18分、何秒なのかは言ってるソバから経過するので数えない、東京都S区の私立早槻原学園高等学校、2年D組の教室の、学籍ID“2Df01”、「浅雪一香」の机の中に、間違いなく本物と思われる「拳銃」が置かれてやがる、ってコトだけだ。
(……ま、考えても仕方なし……どーせ言わなきゃ誰も分からねーだろーし……)
一香は状況を宙空に丸投げした。 何と言っても、自分が何をした訳でもないのだから。
こんな小型な拳銃の1つや2つくらい教科書と参考書とノートと一緒に通学鞄の中に放り込んで、帰る途中でどっか川にでも捨てれば、あとは110番のヒト達とかTVのヒト達とかが自分と関係ないトコで勝手にでも事件にしてくれるさー、ってな程度にしか考えなかった。
もーしばらくこの銃のコト考えるのは中断。知らないフリで通してやr――
「一香、おはよっ!!!」 「うわああああっ!!???」
――冷静な思考まで中断させられた。 いつもどーりの朝の挨拶で。
思わず張り上げた叫び声で教室中が一瞬にして静まり返り、一香に向けて視線が集束される。
「……かっ、和瀬???」 「何ビビってんの一香?」
背後から無駄に元気の良い挨拶を仕掛けてきたのは、クラスメイトの後藤和瀬。
中学時代からの友人だ。 「……や、イキナリ背後で叫ばれたらビビるっしょ、普通」
何かが起こってるコトを悟られないよーに、戦々恐々としながらも笑顔を作る。
「別に叫ぶってほどかなー」 「いや和瀬アンタ今日絶対声デカいから」
「そっかなー、別に普通じゃん?」 最初の挨拶と比べれば明らかに小さな声で和瀬が答える。
「……んで、なんでそんなビビったの?」 更に、訊いてくる。 訊かれたくないのに。
「いやっ、別に何もー」 可能な限りの普段通りで、返答を投げ棄てる。
「……怪しくねえ?」 「怪しくねえっ!!!!!」
執拗な和瀬に対して、一香はついつい声を荒げてしまう。 逆効果なのに。
「そんなムキになって否定するトコが尚更怪しい訳で〜〜〜」 和瀬がニヤリと微笑む。
「なっ……何?和瀬???」 逆に、一香の微笑みは引きつる。
「オトコかっ!?オトコなのかッ!!???」 「全然違うッ!!!」
和瀬は一方的な思い込みに基づいて一香を問い詰めに掛かる。
「古今東西南北中央不敗、オンナの隠し事はオトコ絡みって決まってんでしょっ!!!」
とかなんとか叫びながら和瀬は一香の首筋を締め上げに掛かる。
「いや決まってねーから!ってか古今東西南北中央不敗って何……うわ何をするこらやm」
問答無用とばかりに和瀬は一香の突ッ込みには一切答えず、背後に回って腕全体で首を絞めつつ、更に一方的に問い詰め続けてくる。
「そーかっ!そーなのねっ?その机の中には誰とも知れない謎のオトコからのラヴレタァってヤツがっ……今時素敵にダサげなコトやらかしてくれる相手はきっと童貞君なのねっ!?」
「つっ、机ッ……;」 危ない危ない。
こんな時、「机の中には何も無い」とか言っちゃったら“The End”だ。
いやむしろ事態が事態だけにハッキリ明確に言って“The End of My Life”だ。
もしも拳銃なんて素敵に危険極まれた代物が入ってるなんてバレたら……ってか、朝っぱらから童貞とかなんとか何言ってんだこの後藤和瀬は。
オマエだってまだ処女だろってーのに。 いやソレを言ったら自分もなんだけど。
いや別にオトコ興味ないからいーけど。。
絞められた首の上の、決して血の巡りがよろしくない頭の中で一香の思考は錯綜する。
多重に。 複雑に。 無駄に。 そして、在らぬ方向に。
しかし今最も在らぬ方向に加熱してやがるのは間違いなく後藤和瀬だ。
「ああんっ読みたい読みたいーーーっ、かつて『氷の女』と呼ばれて区立4中全域を震え上がらせた浅雪一香が一体どーゆーラヴレタァ貰ってやがるのか、超猛烈に見てみたいーーーーーっ!!!」
「だッ……だからそんなモノ、貰ってな……」 一香のささやかな言い分は和瀬には届かない。
届かないどころか、和瀬は一香を机から引き剥がそうと、更に力を込め始める。
「かっ、和瀬っ、、、」 ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいっていうかむしろヤヴァいッ!
てかこのバ和瀬、もしかして机の中のブツの存在分かってて私を机から剥がすつもりかよ?
「何2人とも?朝っぱらから公開プレイ?オレも混ぜてよ?」 「ぶばッ」
……恐怖に怯える一香の耳に、鼻と口から牛乳を噴き出しそーなセリフが聞こえて来た。
別に牛乳を飲んではいなかったが。 「あ、尚志おはよー」
和瀬は既に一香の首を絞める腕の力を弱めて、エゲツないセリフの主に軽く挨拶を返している。
一香と和瀬のクラスメイト、福部尚志だ。
「おう和瀬。一香もうイキそう?オレ最後キメちゃっていい?」
「ちょっとー、尚志ってば下劣ー」
とかなんとか言ってる和瀬自身の表情も下劣にニヤついてるのが一香には容易に想像できる。
こーゆーノリの会話、一香は正直言って苦手だったりする。
「……ったく、コレがイッてるよーに見えるかよっ」 喉元を撫でながら一香は吐き棄てる。
どーにもこの福部尚志というヤツのノリが、一香は正直言ってかなり苦手だったりする。
「んじゃ、改めてオレが」 「うるせえ黙れ」
振り向き様の左裏拳をその福部の左頬に捻じ込んで、下劣なセリフを強制終了させ――
「おあっ、今の裏拳でオレの方がイキそーだっ」 ――られない。
「……地獄まで逝かせてやる?」
一香はふと、机の中の抑止力を行使してみたい衝動に駆られる。
「あー一香にイカせてもらえるなら地獄だって天国かもー」
が、こんな調子の福部が相手じゃソレさえも喜ばれてしまうかもしれないので、思い留まる。
ったく、マジで地獄逝かすならまずその下劣な下半身のアレ撃ち落としてからにしてやるか?
「……あっ、そいえばなんで朝から2人でヤッてたの?欲求不満???」
福部の口は、減らない。 「アレがヤッてるよーに見えるアンタのがよっぽど欲求不満だわ」
和瀬も一香の背中に抱き着いたまま、減らない口で言い返す。
「ちゃんとヤッてんの?って相手いないんだっけ。……ちゃんと抜いてんの?」
「んーまあ普通にね。一香とヤるトコ妄想しながら今朝も一ぱt」
「汚ねーーーなッ!!!!!」 一香は反射的に福部の右脚を蹴り飛ばしていた。
「うガふッ」 福部は蹴り飛ばされて、一香の隣の席にある椅子を巻き込んで床に沈められた。
「そーゆーコトして来てやがんなら尚更近付くなこの下劣野郎!」
「バカ、余計なコト言わなきゃいーのに」
和瀬が冷めた声で呟く。そう言うように仕向けたのは元はといえば彼女なのに。
しかしコレでも福部の口は減らないどころか、尚更勢いを増す。
「うはーーーっ♪ 一香ナイス蹴り!次はアレ蹴っちゃってよ、そしたらオレ完璧イクわ、ホントマジでっ」
「うるせえ黙れ、誰がテメーのソレなんか蹴るかよっ!!!!!」
っつーか、マジ朝から抜いて来てんのかよコイツ?
コレだからオトコは、と一香は心の片隅で思う。
「……ホント、3人とも要らんトコばっかし元気なんだから……」
遅れて教室に入って来た稲見美樹子は、仲の良さげなクラスメイト3人の猥談を微笑ましく眺めていた。
「やっぱ、一香と尚志ってお似合いなんじゃない?」
なんだかんだで、どーのこーので、誰にもバレなかった。
朝、学校に来るなり、一香の机の中に置かれていた拳銃のコトだ。
そして更になんだかんだで、どーのこーので、一香は下校しようという今、その拳銃を自分の通学鞄の中にちゃっかり仕舞い込もうとしていた。
(……たはは;)
軽く苦笑い、半分泣き笑いしつつ、一香はこの拳銃の行く末を案じていた。
いや、案じるという言い方は適切ではないか。 どーせこの拳銃は川に捨てるのだから。
川に捨てられた後の拳銃がそのまま川底で朽ち果てよーが、
心の貧しい誰かに拾われてその持てる能力を存分に発揮しよーが、
心の正しい誰かに拾われて真ッ当に110番のヒト達の元に届けられよーが、
心の優しい誰かに拾われてその家のペットとして末永く可愛がられ天寿を全うしよーが、
川の流れに流れ流されて遠路遥々東京湾まで辿り着いて、更に親潮に乗って遥々南洋まで運ばれて、赤道直下の暑い太陽に直射されて蒸発して雲となり、渦を巻いて台風となり、北上して雨となって再びこの東京の地に降り注ごーが(そんな訳ないか)、一香的には知ったコトじゃない。
いや流石にこの拳銃で誰かが撃ち殺されたりでもしたら多少は良心の呵責を覚えるが。
でも、川に捨てて水に濡れたら弾を撃つ火薬は湿って使えなくなるだろーし(たぶん)、そーなる確率は自分と福部尚志が恋愛感情の支配下で付き合い始める確率くらいには低いだろーと思う。
だったらやっぱり、この拳銃を自分で交番に持ち込んで根掘り葉掘り事情聴取されて面倒なコトになるよりかは、川に捨て去って「なかったコト」にしてしまうのが一番簡単で、安全だ。
何しろ、彼女がコレを手に入れた経緯はと言えば「学校に来たら教室の机の中に入ってた」なんて冗談にしか聞こえないよーな顛末だ。そんなの警察のヒト達に信じて貰えるとは到底思えない。
「……でも、実はちょっと手元に置いときたいとか思ってたり……して……」
呟きながら一香は苦笑いを浮かべて、改めて机の中から銃を取り出そうと――
「ねえ何何何何何っ?何手元に置いときたいの?もしかしてオレ?もしかしなくてもオレ???」
「うわああああっ!!???」
――する寸前で、福部尚志により教室の扉が開けられた。
思わず本日2度目の絶叫。 「あはは一香ったらー、オレが来たのがそんなに嬉しいっ?」
「嬉しくねーよバカ!ってか来るなよバカ!!!危ねーんだよバカッ!!!!!」
「うーーーわーーー、バカ3回はキッツいなー」 とかなんとか言いつつ、福部は嬉しそーだ。
「……なんで今更戻ってくんだよ???」
動作を悟られないように拳銃を机の中に戻して、一香はわざわざ訊いてみる。
「いや、物理のテキスト忘れたっぽくてさ。あとオマエのハート盗むのもな」
「……気色悪ッ」 さらりと言いやがる。
マジでこのバカ、机の中のブツで撃ち殺してやるか? 「…………なあ?」
一香が殺意を煮え滾らせる中、福部の表情から薄笑いが消えていた。
「なんだよ改まって?」 ……コイツもしかすると顔だけは悪くないかもな。
「やっぱり、オレと付き合ってくれないの?」 「………………はぁ?」
そして言うセリフがコレか。やっぱり訳分からねえ。
「……生憎ね、下劣野郎に売り渡すほど安い精神は持ってなくてさ」
目一杯の棘を付けた拒絶の言葉を投げ返す。
半端に生易しい言い方なんて、一香は決してしてやらない。
「……はッ、ハッキリ言うじゃねーか」 「ハッキリ言われたいんだろ?」
キツい言葉でも何でも。 ソレだけで喜べるってゆーならいくらでも言ってやるよ?
オマエがそーゆーヤツだってコトくらいは分かってるから――
「オレってそんな下劣かなあ……」 ――と思ったら、素で落ち込まれた。 「はぁ?」
コイツそーゆーキャラだったっけ、ソレとも私が言い過ぎたんだっけ?
……でも、一香は更に言う。
「朝っぱらから堂々と『抜いて来ました』とか言ってるヤツが今更ねー」
和瀬が言いそーなセリフで追い詰める。 少しは自分を理解しろ、このバカ。
「下劣かなあ……」 福部はまだ言っている。
背中から見たら「がっくり」と書かれてそーなくらいにまで、肩を深く落としている。
なんだかなあ。 まあ、どーでもいいけどね。。 「とっとと帰って出直して来なよ……」
しかし、一香が少し言い掛けた瞬間に 「言ったナ?????」
福部の顔色は元通り。 どころか、今まで以上の強度で目を光らせている。
「……何を?」 「出直して来いってコトは!」 更に、無駄に声が大きくなる。
「オマエはまだオレに惚れ直す可能性があるっつーコトだっ!!!!!」
ビシッ、と音がしそーなくらいの勢いで一香を指差して、福部は声の限りに断言した。
「ちょっと待てーーーーーーーッ!!!!!」 しかしこんな時に限って、待たれない。
「じゃーな一香。明日の朝、オマエは生まれ変わったオレの姿に目を奪われるだろう」
「うげッ、更に気色悪;」 一香の背筋を全力で逆撫でして、福部は走り去って行く。
ホントにもぅ。 訳分からないヤツ。
「安心しろ、アンタのそのバカさ加減は多分死ぬまで治らねえ」
精一杯の悪態を吐き棄てながら、一香は机の中の危険物を慎重に鞄の中に仕舞い込んだ。
福部尚志を追跡してその危険物で撃ち殺したい衝動を抑え込みながら。
「今カラ遊ンデク?」
漢字変換後にわざわざ平仮名を片仮名に打ち直した怪メール。
こんな無駄な所業をわざわざやらかしてやがるのは後藤和瀬と相場は決まっている。
「……で、一香ちゃんは下校途中に日本最大級の大繁華街に寄り道ですってのよ。ホントにもぉっ、なーんて悪い娘なんでしょうっ!お母さんはそんな娘に育てた覚えはありませんよっ!!???」
「うるせえ黙れバ和瀬。そもそもアンタに育てられた覚えはねえ」
相変わらず無駄に騒々しい和瀬に対して、一香は冷たく吐き棄てる。
せっかく怪メールのお誘いに乗じて新宿駅まで来てやった途端にコレだ。
「ってか、アンタが誘うからわざわざ来てやってんじゃねーか」
「あーん、そのくらいの冗談は通じて欲しーんだけどなーーーっ」
「……冗談のつもりだったの???」 稲見美樹子も来ている。
「冗談になってないと思うよお姉ちゃん。だって、私が一香先輩の叔母さんってコトになっちゃうじゃない」
「ソコかよっ!!???」 和瀬の妹、瑞紗も来ている。
そして奇妙に要点がズレた突ッ込みを姉に叩き込む。
「ホント、瑞紗ちゃんってなんか淡々と凄いトコ突くよねえ」
稲見がなんとなく感心している。 「……だが、ソレがいい」
一香が無理矢理に低い声で呟く。当の本人には聞こえない程度の小声で。
「……アンタねえ?」
「はッ、稲見みたいな夫子持ちにはこの私が純粋な意志で瑞紗ちゃんを可愛がる心理が分かるまい!そりゃもー実の妹の如くにな!!!」
一転して、一香は高らかに宣言する。
「いや、夫はともかく子供なんて持ってねーし。ってか、まだ結婚してねーし」
補足しておくと、稲見美樹子はこの場の4人の中で唯一の彼氏持ちだったりする。
「……ってか一香、そーゆー趣味なの???」 和瀬が目を細める。
「安心しろ和瀬、アンタの妹は私が護るから。私の生命に代えてもね」
「……いやちょっと、そーゆーコト訊いてんじゃなくてー」
「そうですね。一香先輩に護ってもらえるなら、何があっても安心です」
「ああっ、瑞紗ちゃんっ……!!!」
疑いを知らない真っ直ぐな微笑みは、一香の理性を破壊した。
一香はしっかりがっしりと瑞紗を抱き締める。
「おいおいおいおいおいおいちょっとーーーあのーもしもーーーーーし?」
妹を奪われ掛けている実の姉が呼び掛けるも、2人の世界は揺るがない。
「こんな薄情で全然頼りにならない実の姉となんて縁斬っちゃって、今日から私の妹になればいいよ。そして私を『お兄ちゃん』って呼んで?」
「うん。…………って、お兄……ええぇっ!!???」
順当な流れの遥か斜め上を行く単語に、当然のコトながら瑞紗は困惑してしまう。
「コラちょっと一香、ソレいくらなんでもマズくね?」
和瀬は縁斬っちゃえとか酷いコト言われたトコよりも先に、そのへんに反応した。
「ってか、こんな時の一香って尚志のコト言えないくらい十分変だよ、変過ぎだよー」
「安心しろ稲見、変なのは自覚してっから。でも私とヤツは決定的に違う」 「ドコが?」
「ヤツは単なる下劣だけど、私の崇高なる意志はクリスタルガラス級に純粋だから」
淡々と、表情一つ変えず、一香は言い放つ。 「げッ、一香気色悪ぅ;」
傍で聞いていた和瀬が、引く。 「はッ、姉失格のアンタには分からないだろーね」
「ある意味分かりたくもないね」
和瀬は緑茶と牛乳とオレンジジュースを混ぜて美味しそうに飲んでるヤツを遠目から見たような表情になる。
「こんな可愛い妹を全力で護りたいと思わないアンタには永遠に真実の愛は見出せない。死して尚永遠の孤独に苛まれるがいい、後藤和瀬!」
「うーーーわーーー、死後の孤独まで決定付けてきやがるしー」
今度はナイフとフォークを構えて決死の形相で笊蕎麦に襲い掛かろうとしてるヤツを間近で見たような表情になる。
要約すれば、「まあがんばれ。そして御愁傷様」ってヤツ。
「……っていうかさ、、、」 「何、稲見?」
義姉妹(義兄妹かも)の契りを交わそうとしている2人を放置と決め込んだ和瀬が、真ッ先に稲見の声に飛び付く。
「いや、あのね。そーいえば今朝一香がラヴレター貰ったとかなんとかってさ、和瀬騒いでなかったっけ???」
「…………ああ!」 「げッ;」 一香が蒼褪めた。
よりにもよって何故にそんな化石のよーな話題が今更発掘されるの?
ってか、なんでわざわざ発掘するかなー稲見???
「そいえばそんなネタもあったっけねえ♪」 和瀬も思い出したらしい。
思い出させるなよ稲見のバカ、なんて一香としては勿論思う。
「えっ、一香先輩ラヴレター貰ったんですか???」 瑞紗まで反応してくる。
そのいたいけな瞳を目映いばかりに輝かせて。 「……貰ってません」 何故か敬語。
事実本当に貰ってないのだから、何を後ろめたく思う必要もないのだが、なんとなく。
「嘘つけバーカ。アレだけ必死に隠そーとしてて何も無い訳があるかッ!!!」
「ホントに何も無いなら隠す必要自体無いじゃない?」
和瀬も稲見も強引に話を決め付けて掛かる。
こーゆー連中の次の行動というのは一香には大体、読める。
「まだ、その鞄の中にはっ!!!」 「まだ見ぬ彼氏からの愛の手紙がっ!!???」
「無ぇよッ!!!!!!!」 あぉもぅやっぱりこのバカ共は!!!
……と思っても一瞬にして左右から同時に跳び掛られては逃げ場は少なく、一香は和瀬に抱き付かれてしまう。
「ほらほら素直にお母さんに見せて御覧なさい。怒らないから!」
「うるせえ放せバ和瀬!無いモノは無いんだッ!!!!!」
「そのへんは私が念入りにチェックしてあげるからね」 「テメエも止めろ稲見っ!」
稲見が一香の鞄に両手を伸ばし、掴もうと――
バン!!!!!!!
「………………!」 ――した瞬間、駅構内には極端に大きな音が響き渡った。
何か巨大な爆発のような――甲高く、鋭く、そして重い音。 「ちょっと……何、今の?」
「は、発砲事件???」 反射的に、稲見と和瀬は更に一香に密着する。
「えええっ!!???」 姉の言葉に恐怖を煽られたか、瑞紗まで一香に抱き着いてくる。
「そんなまさか――」 最初はそう思いはしたものの、一香は確かに銃声だと確信していた。
明らかに火薬系の爆発音っぽかったし、その火薬が例えば単なる花火だったとしたらこんなにも重く鋭い音なんかになる訳がない、気がする。なんとなく。
「まさか、ね――」
一香はつい自分の鞄の中を調べなくちゃと思い掛けたが、音は明らかに遠目から響いて来てたので、彼女が学校の机の中で見つけた例のブツが音源ってコトはないだろーと瞬時に判断し直した。
そんな彼女達の周囲が、音が聞こえた瞬間には一瞬にして静まり返った人々が、徐々に騒然としていく。
『何、誰か銃とか撃った?』 『どーせ花火とかじゃね?』 『893?お巡り?』
一香達と同じく音しか聞いていない人々が口々に憶測を巡らせる。
その声の集合は間もなくして再び、単なる「ざわざわ」という白色雑音に呑み込まれる。
「一香――」 「一香先輩――」 和瀬と瑞紗の声が震えているのが分かる。
「大丈夫。……音はけっこー遠かった。だからココならまだ全然大丈夫」
然程の根拠もなかったが、一香はそう言うしかなかった。
可能な限り生き延びる確率を高くするためには可能な限り冷静でいるしかないのだから。
この状況で大多数が焦って逃げ惑いでもしてみろ、連鎖的に交錯して将棋倒されて余計死亡だ。
しかし―― 『きゃああああっ!!???』 『うわあああああッ!!???』
『ひいぃっ!!???』 ――群集心理は冷静さを失わせる方向にばかり加速する。
「なッ……ちょっと、、、落ち着……」
落ち着けと言われて落ち着ける人間がいないからこそ世界には混乱が存在する。
きっと銃声の音源の方向からだろう、人々が大挙して走って逃げて来る! 「きゃあっ!?」
足音の波が周囲からも発生し始める中で、瑞紗も思わず悲鳴を上げる。
「だから落ち着けってのにホントにもーーーっ!!!!!」
全力で悪態を叫びながら、その人々の流れに呑み込まれないように一香は切符売り場の券売機際に寄って行く。抱き着いている3人を引き連れたまま。
「一香ヤヴァいって!ウチ等も逃げないと……」 「ホントに撃たれちゃうかも……」
「怖い……」 3人が3人ともそう言いながら、更に強く一香に抱き着いてくる。
「だからオマエ等も落ち着け?あんな大勢と一緒に走って逃げたらどっかの段差で転んだ途端に押し潰されるのがオチだろ。撃ち殺されるより踏み殺される方が確率高いよ」
「でも……」 和瀬の表情が蒼褪め始めている。
「ってかオマエ、そんな逃げたいんだったらわざわざ抱き着くなよ」 「あ」
「……だねえ」 指摘されて漸く、瑞紗以外の2人は一香から手を離した。
しかしその瞬間に
バン!!!!!!!
2度目の衝撃音。
「ええっ!!???」 「きゃあっ!!???」 離れた2人がまたすぐ抱き着いてきた。
「マジか……?」 明らかに1度目より大きい音に、一香は少なからず背筋が冷えるのを感じた。
近付いて来てやがるのか。 ソレとも、近場にもう1人撃ったヤツがいやがるのか。
「とにかく逃げるか隠れるかしなくちゃね――」
わざわざ言わなくても当たり前に分かるコトを思わず言ってしまった瞬間、走って逃げる人々の中から1人の男が、強引に流れを押し退けて自分の方に向かって来るのに気が付く。
(なんだよアイツ……?) 奇妙なヤツだ。
一瞬合い掛けた目を合わせないように――目を背け掛けたが、何か眩しく光を反射するモノが男の手に握られているように一香には見えていた。
丁度、獣肉や魚を捌くのに使うような――
――って、刃物だ。
「やだっ……止めろよっ!!!」 普段よりも格段にか細い声が漏れる。
「何、どしたの一香?」 「まさか……」 「先輩……?」
抱き着いたままの3人も一香と同じ方向を見る。 刃物の男が更に歩調を速めて迫り来る。
周囲の群衆は銃声から逃げるのに手一杯なのか刃物の接近に全く目を向けない。
一香は――脚が動かない。 「来るなっ……!!!!!」 声が上擦る。
背中が震える。 時間が凍る――
バチバチバチバチバチバチ!!!!!!!
「なっ……!?」 刃物男の背後で凄まじい静電気の音が響いた。
冬場のセーターで例えるなら270着分くらいの音量か。 「何の音……?」
間もなくして男は、ゆっくりとその場に沈み込んでいく。 どさっ。 「えへへっ」
その背後には1人の少女が不思議に微笑んでいた。
14〜15歳くらいだろうか、小柄で細身で、その手に握られているのは――スタンガン。
「危なかったねっ」 気を失ったらしい男を踏みつけて、少女が一香達に歩み寄って来る。
「きゃっ!?」 「ちょっと……!?」
「だいじょーぶだよ、アンタ達にバチッて喰らわせたりしないからっ♪」
引き掛けた和瀬と瑞紗を前にして、スタンガンの少女は得物をポケットに仕舞い込んだ。
「とにかくなんだか良く分かんないけど……助けてくれてありがと」
礼を言うだけ言って、一香は3人を振り解き、その場を立ち去ろうとする。
しかし謎のスタンガン少女が、駆け寄ってくる。 「えっ……?」
思わず脚を止めた一香の瞳の中に少女の笑顔が飛び込んで来る。
「どーいたしましてっ♪」
柔らかな唇が頬に触れる。
「な……何っ……?」
我に返った一香の前で少女は人々の流れとは逆方向に走り去って行く。
まだ、一香の脚は動き出さない。 「………………一香?」 「なんなのっ……!?」
和瀬の声が途方もないくらい遠くから聞こえるような気がする。
どうしてだろう、そんなコトよりも何よりも今は
「待てよっ!!!」
ってか、なんで銃声の方に走ってくかなあ? とか思いつつ一香も同じ方向へと走り出す。
「ちょっ、、、一香ドコ行くのっ!!???」 「一香先輩……???」
「大丈夫、すぐ戻るから!先に逃げてて!」 何の保証も無い言葉を並べ立てた。
とにかく今は――あのスタンガン少女を追わなくちゃ。
あの娘が何するつもりか知らないけど――少なくとも、スタンガンではハンドガンに対して勝ち目は無い。
「待ってってばっ……!」 追う。 走る。
姿はすぐに見失ったけど――そのへんはもう、勘で。
ドコをどう走ったのか知らないけどJRと私鉄の駅の境目あたりで人の波を抜けた。
直後――
バン!!!!!!! バン!!!!!!!
――3度目、4度目の銃声。
「近付いてる……?」 明らかに今までより大きく聞こえる。
思わず身構え、スパイ映画ってヤツみたいに壁際に背中を貼り付ける。
心臓の音が耳元で鳴ってるような気がしてくる。 (やだっ、私もしかして興奮して……?)
恐怖とは違う感情で動いてるのが自分でも分かる。
っつーか、ただ怖いだけだったらそもそもわざわざココまで走って来てねえ。
「いるのか……?」 地下へと続く階段を下り始める。
つい、足音を立てないようにゆっくりと歩いてしまう。
踊り場で方向転換して、後半最初の1歩を踏み出した瞬間に――
バン!!!!!!!
「うわあっ!!???」 ――一際大きな5度目の銃声が彼女の体勢を崩した。
するっ。 くらっ。 どたん。 ばたん!
「…………って、間抜けだっ……;」
足を滑らせて踏み外して転げ落ちて背中から下の階に落ちたの図。
和瀬に見られたら散々ネタにされそーだ。 ……が、状況はネタどころじゃない。
「ヤバっ……!?」 今ので拳銃持った誰かに見つけられたとしたら……!
とは思ったが、地下は驚くほど静まり返っていた。
5度目の銃声以降、何かが起こった気配は無い。 「………………?」
不審に思いながらも、一香は奥へと進むコトを決心した。 っつーか、今更引き返せねえ。
このあたりの地下はショッピングモールってヤツになっていて、通路の両脇は様々な店舗が連なっている。
だから例えば、ブティックの服の林に紛れ込みながら。
書店の本棚の陰に身を隠しながら。
既に客も店員も逃げ去って誰もいない高価なアイスクリームの店で、ちょっとばかし試食させてもらいながら。(※警告:軽く犯罪です)
とりあえずまだ食べたコトのなかったスパイス入りミルクティ風味を存分に堪能して
「…………こんなコトやってる場合じゃねーよ、バカ」 我に返って追跡を続行。
そのアイスクリーム店の角を曲がったすぐ先で、何者かが倒れているのが見えた。
ドコかの高校生だろうか、制服らしいブレザーとスラックスの少年が2人、仰向けに。
しかも2人が2人ともの右手付近には拳銃が無雑作に転がされていて、御丁寧に2人が2人ともの額には直径1cmほどの穴が綺麗に開けられていた。
そして2人が2人とも、薄気味悪いくらいに――銃を撃つなり銃で撃たれるなりしていたとは到底思えないくらいに――表情が無い。
「……なんなんだよ」
単純逆算すれば、この2人が銃撃戦を繰り広げた挙げ句、互いに相手の額を撃ち抜いて相撃ち。
「バッカじゃねーの……」 最初に思い浮かんだのはそんな言葉。
なんでこんな普通のガキが拳銃持ってんだよ?とか、普段なら真ッ先に突ッ込むポイントは、余りのバカバカしさにすっかり忘れ去っていた。
そして、最後の5度目の銃声はコイツ等2人が完全同時に引き金を引いたからこそ一際大きく響き渡ったモノなのだと、一香は漸く理解した。
「バカだよ、コイツ等」 2度まで言う。
(もう終わりだろーな。瑞紗ちゃんトコ戻るか……)
謎のスタンガン少女の行方は気に掛かったが、少なくともこの地下でバカ2人の銃撃戦に巻き込まれたよーな形跡は無いので、たぶんドコか別のトコに走ってったんだろーなと勝手に納得。
でも、また逢えればいいかな……なんてドコかで思いながら。
(あははっ、あんな可愛い娘に初対面でイキナリkissされちゃうなんてねっ)
ソレ系の趣味は特にないつもりだけど、頬に触れた柔らかな唇の感触を思い返すと不思議と胸の奥が温かくなってきた。
アレがもし福部尚志だったら即座に撃ち殺してる。
念のためコソコソとした忍び足で一香が慎重に地下から出ようとすると、階段のすぐ先には大勢の人々の背中が見えた。
大勢の話し声が重なり、ざわざわという雑音になって耳に飛び込んで来る。
(なんだよ今度は……大道芸人でも来てんのか?)
この状況でソレはねえだろと自分に突ッ込みつつ、強引に人だかりの中に割り込んで行く。
「ちょっと、ゴメンなさい」
誰からも特に文句を言われないというコトは、特に面白いモノがその先に在るって訳でもないのだろう。
だとしたらこの状況で、推測されるのは――
――死体。
しかも、銃殺されたヤツ。
「うわッ……;」
やっぱり、見なければ良かったと後悔しそーになる銃殺死体だった。
20代後半くらいの地味なOL風の女性が、右の眼球をすっかり撃ち抜かれていた。
頭蓋骨の向こう側まで銃弾が貫通したのか、既に広い範囲のアスファルトが流れ出す鮮血で赤黒く濡れている。
そんなコトより何より、強く引きつったその表情は――地下で相撃ちで倒れてた2人の少年のような無表情とは全く違って――突如突き付けられた死の恐怖をそのまま刻み込まれたみたいだ。
「またか――」 「!?」
すぐ背後からの声に、一香は慌てて振り向く。
その場には1人の少年が。 「……どーゆーコト?」 またか、ってコトは。
こんなイカレた発砲事件が何度も何度も起こってるってゆーのか???
「……オマエなら分かるハズだろ」 明らかに一香を示して少年は言う。
「分かる訳ねえだろ!!!」 っていうか、オマエが訳分かんねえ。
なんて思ってるうちに少年は一香に背を向け、人込みを割って立ち去り始めている。
説明ナシかよ。
「ちょっと待てよテメエ!なんで私が分かってなくちゃいけねーんだよっ!!???」
細身の少年はやけに効率良く人々の隙間をすり抜けて、遠ざかって行く。
自分的には十分細いと自負する一香が後を追っても、度々引っ掛かって速くは進めない。
「だから待てって!」 漸く人込みから抜け出したが、少年は既に10m以上離れた距離にいる。
「待てよっ!!!」 「一樹くーーーーーん!!!」
人目はばからず叫ぶ一香の声と、やけに浮ついた少女の声が重なった。
一香には聞き覚えのある――っていうか、さっきのスタンガン少女の声だ。
間もなくその声の通り、小柄な少女が謎の少年に駆け寄っていく。
そして少年の左腕を引き寄せ、しっかり抱き着く。 (アイツ……一樹ってゆーのか……?)
謎の少女が呼んだ謎の少年の名前を、一香は思わず反復する。
自分の名前に似てる、ってのがなんとも引ッ掛かる。
「だからホント待ってよ!一体どーゆーコトなんだよっ!!???」 思わず叫ぶ。
そして2人に駆け寄る。 振り向いたのは少女だけ。
少年と並ぶと、少女は本当に随分と線が細いのが良く分かる。
ウェストなんか55cmあるんだかないんだかってくらいに一香には見える。
正直羨ましいけど、だけどそんなコトをこの際、気にしてる場合か。
「街中でイキナリ銃撃戦なんて、『またか』ってくらい起こってる訳ねーだろ?っていうかマジ、私が『分かるハズ』って何が?こんな殺人現場見たの当然初めてなんだよ?」
一気に言うだけ言う一香の問いには何も答えず、少年は再び歩き出す。少女も続く。
「だから……!」 立ち尽くす一香に対して、離れ行く少年が振り返らずに一言。
「背後くらい、気を付けとけよ」 「えっ…………!?」
言われて思わず、振り返る。
すると見覚えのある男が真っ直ぐ、視界の中央に跳び込んで来る。
その手には――見覚えのある、刃物。
「なッ……!!!!!」
男は一香の胸元目掛けてナイフの刃先を突き出してくる。
対して一香は、手に持っていた鞄を反射的に胸の前に突き出そうとする。
しかし反応がそもそも遅く、既にナイフは鞄越しに一香の心臓を捉えている。
間もなくナイフは鞄に突き刺さり、更に貫通して一香の胸に――
――刺さらない。
「あっ……!?」 ナイフは先端だけが鞄に刺さったまま、先に進んではいなかった。
何かが鞄の中でナイフの侵攻を食い止めたのだ。 「えっ……!?」
バチバチバチバチバチバチ!!!!!!! 「うわあッ!!???」
猛烈な静電気の音に思わず飛び退いた一香の前で、先程と同じく刃物男は崩れ落ちた。
当然、その背後にはいつの間にかスタンガンの少女が。 「一香ーーーーーっ!!!!!」
「あっ、、、」 遠くから和瀬の声が。 あーそーだ、そんなのもいたっけ。
「じゃっ!」 スタンガン少女はまた、少年の隣へと走り去って行く。
「あっ……ちょっと!?」 まだ名前もお互い知らないのに?
追いたくてもナイフで刺され掛けた恐怖の反動か、脚がまだ真っ直ぐに動こうとしない。
少女はすぐに少年に追い着き、先程のシーンのVTR再生のように腕を取って抱き着いた。
そして一香の方を振り返って。
「がんばってねっ、コレから」
そんな言葉を残して、平静を取り戻したらしい駅構内の人波の中に溶け込んで行った。
まだ高校の制服を着たまま、浅雪一香は1人で夜の川沿いを歩いていた。
過剰な街の明かりで鈍い灰紫色に照らし出される雲を見上げていた。
「なんだかなー……」
ナイフで刺された穴がそのままの鞄をもう一度抱き締める。
正確に言うなら、その鞄の中でナイフの侵攻をカラダ張って食い止めてくれた命の恩人を。
恩人とか言いつつ鞄の中に収まるソレは当然、人間ではないが。 「なんだろーねえ……」
なんだかも、なんだろーもないよね、とは思う。
とにかく『彼』は身を挺して自分を助けてくれたのだから。
何の因果か知らないが朝、学校に辿り着いた自分を机の中で待っていた『彼』。
そして何の応報か知らないが夕方、変な男にナイフで心臓刺されそーになった自分をその身を盾にして庇ってくれた『彼』。
しかもソレでほぼ無傷だとゆーのだから素晴らしい頑丈さだ。
でも、そんな『彼』は本来なら、到底手元に置いとけないよーな存在でしかないのだ。
何しろ、火薬を爆発させた勢いで鉛の塊を飛ばし、人間の身体を向こう側まで貫通するほどの穴を開けるのが、『彼』本来の仕事なのだから。
ナイフの刃先が人間の身体を貫通しないよーに食い止めるなんてのは、偶然その直前に『彼』がいたから結果的にそーなった、ってだけのコト。
『彼』の本質は「守」でなく「攻」にある、ソレが全人類大半の共通理解だ。
「ゆないてっどすていつ」って国だけはどーやらそーじゃないみたいだけど。。
一香はその点に関しては人類の多数派に属してると思う。
ま、そんなコト今はどーでもいいけど。
だってココは「ゆないてっどすていつ」じゃねーんだから、いちおー「日本」なんだから。
『彼』が一香の手元にいるコト自体が最大最悪の大問題になってしまう国なのだから。
「………………ねえ、『拳銃』さん?」 鞄の中の『彼』の名を呼ぶ。
型式とか通称とか知ってるくらいのマニアじゃないのでとりあえず一般名詞で。
傍目から見ると、単なる「怪しいひと」。 でなけりゃ単なる「危ないひと」。
実際拳銃なんて持ってなくても「危ないひと」。 世知辛い世の中だと一香は思う。
でも、普段の自分が今の自分を見たら素で引くだろーとは思う。
分かってて言っちゃってる今の自分はホントになんだかなーで、なんだろーねえ、ってカンジ。
とにかく。 「結果的に助けてくれたコトは、マジ感謝してるよ」
胸に抱いた鞄の中の『彼』に、一香は小さく語り掛ける。 「でも……」
デモもストもない、ってのは遠き先人の言葉だったか。
だからそんなんどーだっていーんだってば。。
「分かるでしょ?アンタの存在自体が、私にとっては銃刀法違反」
一香自身にとっても意味分からない一歩手前の文章が音声にされる。
「だからアンタと私は……どんなに強く愛し合ったとしても決して結ばれない運命なの」
このへんまでくると自分で言ってて吐き気がしないでもない。 でも、こんな使い古された言い回しが突発的に思い浮かんじゃうくらい、『彼』に対する一香の思いは理不尽で複雑なのだ。
って、別に愛してなんかいないけど。 結ばれたくもないけど。。
っつーか結ばれるって、、、、、ヤるのか??? 拳銃と? っつーか、拳銃「で」???
胡瓜とか茄子とか椅子とかなら分からないコトもないけど、拳銃って……。
………………イケるのか??? 「うっわ、、、エゲツねー」
突ッ込んでイク瞬間に間違って引き金引いたら世界最強に恥ずかしい銃殺死体になれるコト請け合いだな。
なりたくねえので今夜に限らず未来永劫に試さないコト確定。
「…………んなコト考えてる場合じゃねえ!」
相当アレげな思考を振り払う。
だいたいこんな道具使わなくなって自分の指だけで十分イk
………………振り払ってないですかそーですか。。
誰に言うでもなくゴメンなさいと一香は思う。
後藤和瀬と福部尚志をどーこー言えた立場じゃねーな……。
「だからホント……ココでお別れしなくちゃいけないね」 気を取り直して川に歩み寄る。
ナイフで穴開けられた鞄ごと、『彼』を頭上高く掲げ上げる。
後はこのまま腕を強く振り下ろして、鞄諸共『彼』を川に投げ込んでしまえば――
「………………っ」
――しかし一香は腕を上げたまま、「固まって」しまう。
「分かってる……分かってるけど……。でも……」 デモもストも、ってのはもーいーか。
とにかく躊躇う。 鈍い紫色の雲の下で。
桜もすっかり散り去った4月中頃にしてはやけに冷たい夜風の中で。 一香はただ、躊躇う。
本当にこのままこーやって『彼』を放り投げたとして、『彼』がこの先永遠にその役割を全うするコトなく眠りについてくれるだろーか……?
なんて疑問は普通に残る。 その可能性は考えないって決めたハズ……なんだけど。
だったら鞄ごとじゃマズぃな証拠残っちゃうし……
「……ったく、できればずっと私のトコで大人しくしててね。アンタが誰も傷付けないためにはそーするしかないんだからね」
振り上げた右腕をゆっくりと下ろして、再び鞄を抱き締める。
こーなったら『彼』は私が護るしかない、いろんな意味で。
本当はただ、『抑止力』として手元に置いときたいだけかもしれないけど。
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